目 的
もう大分昔になるが、新入社員の規律訓練のため陸上自衛隊に体験入隊したことがある。教官と寝食を伴にしながら、いろんな訓練を受けたが、今にして思えば貴重な体験だった。
その中で、いろんな訓練の後、”体力をつけるため”・・・という理由で、必ず、駆け足をした後腕立て伏せをやらされる。その腕立て伏せのやらせ方が面白かった。
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駆け足が終わると、先ず、”腕立て伏せ十回・ヨーイ。ヒトーツ・フターツ・・・”とやって、やっと十回までこぎつける。やれこれで終わりと思っていると”自分のためにもうヒトーツ”とくる。十回やれたものが、もう一回やれない訳はない。どうにかこの一回を終わってほっとする。
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次の機会には、”自分のためにもうヒトツ”・・・で終わりかと思っていると今度は ”皆のためにもうヒトーツ”・・・。これを何とかこなして十二回の実績と自信がつく。次の機会は”お国のためにもうヒトーツ”これで十三回。こうなると今度はなんと言う理由で、もう一回・・・が増えるのだろうという期待みたいなものが、苦しい息の下から胸をかすめるようになる。
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たくまざるユーモアのの中で、然も相手の能力に応じた高さの目標を掲げ、少しずつ目標を上げながら経験的に自信をつけさせていく・・・。ただ、やみくもにしごくのではなく、部下を指導する技術ということも考えて見る必要がある。
花
名もない花というけれども、どんなところに咲いた、どんな小さな花でも、草花は何故それぞれに必ず美しいのだろう。
それらの花は、見られることを意識せず、ただ自分のためにひたむきに、一生懸命咲いているからではないか。そしていつともしれぬうちに、さらりと散ってしまってあとかたもない。
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それに引きかえ、大きくケンランと咲いた花は,何故散りぎわがあのように醜悪になるのだろう。ツバキ・アジサイ・アヤメ・ボタン・・・。
これらの花は、見られることを意識して咲き、綺麗だった頃の自分に未練を残して、いつまでもまだ見てもらおうと思っているうちに、散り際を忘れ、そのうちに立ち腐れてしまうのではあるまいか。
健 康
健康について、医者からこう言われた。
「あなた方は、蛇口を開けたままで洗面器に水を入れていながら、水が溢れそうになってから、慌てて蛇口を閉めようとしているようなものです。
しかし、水を出している以上、洗面器はいつか必ず溢れるに決まっている。溢れそうになってから止めようとしてももう遅いのです」。
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「何故、洗面器に水が少ないうちに蛇口の水を制限しようとしないのですか。塩分・糖分・煙草・酒・・・何によらず、もう溢れるところまで来ているじゃありませんか」。
「水を入れていながら、溢れないようにと願うのは、風船を針で突つきながら、割れないようにと願うようなものですよ」。
つ ま み
出張途中列車の中。車内販売の売り子さんに缶ビールを注文したら ”ハイ”とビールを渡しながら、”おつまみ何にしましょう?”と尋ねられた。
たかが缶ビールである、お茶代わりで、別にオツマミまでは考えていなかったのだが、オンナの子から当然のように”何にしましょう?”と皆の前で言われてしまへば是非もない。”ウン、そうね、じゃあ・・・”とおつまみを買わされてしまった。
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あの時あのコに ”おつまみは、いいですか?”と聞かれたら、直ちに ”いや、いいよ”という筈のムードだったのに・・・。言葉とは不思議なものである。
S/Sのあなた・・・如何です?。
元気よく。”はい、いらっしゃいませ。日石ダッシュスペシャル満タンですネ”といきましようや。