悲 し き 酒
第一次南極越冬隊長、西堀栄一郎さんの話。
ーーー百三十人の隊員を率いて南極で一年間生活をしようという。勿論食糧はいざのときのことも考え、一年分以上のものを積んでいくのだが、隊長の判断で、当初は予定になかった「酒」を持って行くように指示した。
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そしたら、隊員たちの方がびっくりした。酒は魔物、男ばかり一年間も雪の中に閉じ込められる南極での生活である。外国の隊では、酒は禁じるか或いは少量持って行っても、隊長や医者が鍵をかけて管理しているものだという。
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そこへ隊長から、日本酒換算一人一日一合あたりの酒を一年分準備しろ、と言われたのだから驚く訳。それはともかく、準備するのはいいけれど、船は機材と食糧でデッキの上まで満杯。”そんな大量の酒を置く場所が無い”、といったら、そこを何とか工夫せい。ーーー知恵を絞って、結局、酒・ウイスキーを濃縮して予定の分量を持って行ったという。
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そして、この酒は「自分の手酌なら自由になんぼ飲んでもよろしい。但し、人には一切注いではならん」というルールの中で有効な働きをし、一年間、酒によるトラブルは一切なかった、という話が「石橋を叩いたら渡れない」という本に載っている。
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「最近は、中年男が弱くなってきて、コクのある味を好むべき中年層が、若者に迎合しライト志向が強まった。 ”今や男同士徹底的に飲もう”というような飲み方は、過去のものになった」と新聞記事が嘆いていたが、次はわが社の女子社員、N・Kさんの言である。
”・・・木枯らしの吹く夜、かじかむ手に白い息をかけながら、屋台に辿り着くでしょ。。そのおでんののれんに頭を突っ込んで、背中をぞくぞくさせながら、コップ酒でダイコ・ガンモをふうふういいながら突っついてみたいですねえ。そして、おなかのここんとこにパッと花を咲かせてみたいですねえ”ーーー。
オイ、中年ドースル。
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すし屋の板前は”ヘイ・トロ”ヘイ・お待ち”と目の前の客と掛け合いながら元気のいいのがいいが、小料理屋のカウンターの中の板前は、あまりしゃべらないのがいい。時に注文を受けた材料の自慢を言ったり、ましてや聞きもしないのに、あれがうまい、これが新しい、と勧められたりするとうんざりする。こういう手合いが、手の空いている間、客の前で平気で煙草をふかしたりする。
・・・やはり板前は、愛嬌のないのが、少しこわい顔をして、黙って包丁を捌いているようなのがいいな。
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地方都市Nで有名な鰻やH亭。
こここの親爺は、客に「うなぎを食べにきたのだから・・・と、二合以上の酒は出さない」という変わり者だと評判だが、なんと、土用の丑の日が近づくと ”当日は休みます”という広告を出す。 ”とてもじゃない、急にその日に限ってネコもシャクシも鰻・ウナギと押しかけられたんじゃ、自分の思っている満足のいく鰻が焼けないから・・・”というのがその言い分だという。変っているというより、職人として一つの見識だというべきか。
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飲み屋で許せないもの二つ・・・。
ビールを注いでも、泡がすーっと消えてしまい、すぐに茶色の水になってしまうようなコップを出す店。
(大体、酒屋のおまけの何とかビールの商標のついたコップを出すような店に多い)
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徳利の焼きと銘柄が一本ずつ違うのはまあ愛嬌として、注ぎ口の欠けた徳利を平気で出す店。
(大体おしゃべりのおかみが、割烹着をつけたまま出てくるような店に多い)。
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次は、わが敬愛する酒の達人、ドイツ文学者、高橋義孝さんの文。
「酒の肴は、何をどこで食べればいいというものではあるまい。その日、その時、その場所で、海の幸・山の幸の中から、天気の加減、ふところ具合、おなかの具合で、”これかな”と見当をつけて、うまくそれがツボにはまればよし、外れたら、くよくよせずに、そのまま酔っ払ってしまって、この次には・・・と他日を期するのが酒のさかなに対する正しい態度というものではあるまいか。ーーー場合によれば沢庵のしっぽが、蒲焼に勝ることもあろうというものである」。
(やはり、その道の達人言うことは光りますなあ)。