幸 せ
「”人間は万物の尺度なり”という有名な言葉を残したギリシャの詭弁家プロタゴラスは、”いかなることについての判断も、その判断をした当人にとっては正しいのだ”と主張し、真理の絶対的な基準というものを否定した」(多湖輝)という。
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ちょっと話は堅苦しいが、そう難しく開き直らなくても「幸せは、その人の心の中にあり」というのはどうだろう。その人が幸せであるかどうかということは、その人の置かれた客観的な状況によって決まるのではなく、その人の見方・考え方の中にあるーーー。
そのことを”幸せ”と思えるかどうかの心の状態にある、のではないか。
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客観的には同じ状況の下でも、それをつくずく幸せと思える人もあれば、思えない人もある。”幸せ”の尺度は誰であれ自分の心の物指で計るよりしかたがない。すべては自分の心の整理の仕方にかかっているのではないか。
つ ぶ や き
行く先を言っても返事もしないで走り出すタクシーはつとに有名になってしまったが、何によらずことを行うのであれば、それなりに割り切って、さわやかにそのことに徹する訳にはいかないものか。
何であれ、それを仕事としてやる以上、やらなければならないことは、それぞれに決まっている。どうせやるのなら明るい、気持ちよい態度でやったらいいじゃないか。
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たとえばゴルフ場のキャディ。”九番アイアン”・・・”ハイ”とにっこり笑顔で手渡せないものか、同じ動作をしていてもブッスリ無愛想に黙って差し出すより、ニッコリのほうが、自分だってもなんぼか気持ちがよかろうじゃないか。
どんな職業であれ、その仕事に徹している姿は美しいものである。
ケ ン カ
ある居酒屋。工事関係の仕事の人と意気投合、盃を交し合う。例によって、どういう話の経緯かわからないが、話がケンカの話になった。
その人は二十何年も昔の話だが、若い頃XX組の工事現場に住み込んでいたことがあるそうで、その頃の滅多に聞けない話を聞いた。以下そのYさんの話。
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「若いし一人もんだし、場末の赤提灯でショーチューをひっかけては気晴らしにケンカーーー。なに、ケンカに理由はいらないんですよ。なにかむしゃくしゃしてケンカしたくなったら、例えば映画館で通路に足を出しておく、誰かがつまずくーーーそれだけで充分」。
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「外に出て正面に向かい合ったら、先ず相手の顔にカッとつばをはきかける。これを拭くような奴は大体大したことはありません。拭きもしないで青い顔して向かってくる奴・・・これはもう逃げるに限る」。
「ドスをちらつかせる奴はたいしたことはない。見せる奴は刺せない、刺す奴はいきなり刺してくるもんです」。
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「ケンカのとき、大抵のヤツは右利きだから、自分の左手で相手の利き腕、右手をどう封じるかが勝負の分かれ目ーーー」。
「先ず右手を封じたら、すかさず膝で股間を蹴り上げる。腰をかがめたところで、両手で後頭部を押さえつけといて、も一度膝でアゴをケリあげる。・・・普通はこれでノビるけれど、これで安心してはいけません。ここで今度は頭を踏みつけといてぐっとねじるーーーこれで大体相手は戦意をなくしますなあ、ハハハハーーー」。
(85・S・60・8)