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02-Jan-2013

 お坊さんの話を聞いた。
 題して ”心の時代” ”自分を知る”ーーー到底全部は理解できないが、いい話だと思うので、自分の整理のためにも、断片的ながら思い出すままに書き留めておきたい。

仏教の教えの根本は、つまるところ ”こだわりない心” ”捉われない世界”だという。
 質問があった。「こだわらない心・・・と言われるけれども、我々は ”捉われまい”と思うことに捉われてしまう。こだわるまい、無心になろうと思い続けることは、結局そのことにこだわり続けている、ということではないか」。

 「それはこういうことなんです。例えば母の病気をなおして・・・とお百度を踏む、水ごりをする、手を合わせる・・・そのうちに願いが純化して、祈っていることも忘れて一心になる。自分のこだわりが一つになりきった時、集中した時大きな力になる。なりきって、なりきるな(それに捉われるな)ということです」。

 「仏教に ”止観”という言葉があります。心をひとつに集中して正しくみるということです」。

 小高い丘の上の僧堂。
 修行僧が数人座禅を組んでいる。前面に海が展けている。はるか海上を白い帆かけ舟が走っている。・・・すると高僧が修行僧にいった、「あの舟を止めてみろ」。

 さてーーー、一人の僧はツと立って行って障子を閉めた。もう一人の僧は、そのまま目を閉じた。
 「ーーーそんなことでは、駄目だ。”あの舟を・・・”ということに捉われている限り、障子を閉めようが、目を閉じようが、心の中で舟は動いている」。
 「ーーー心を停止しろーーー」。

 「心を停止する」ーーー「一切唯心道」というのだそうだが、現実の舟は動いていても、すべてのことはそれに対する自分の ”心”で決まる。
 例えば今本を読んでいるとする。頭上にヘリコプターがうるさく飛び回っていても、読書に集中して一心であれば、ヘリコプターの音は聞こえない。そのことに捉われず集中すれば、無心になる。無心とは集中することーーーコマがフル回転すれば一ヶ所に停止したように見える。この状態をコマが澄むという。

 心とは素晴らしいもの、天の上でも、地の下でも、どこまでも拡がっていくことが出来る。逆に心は常に動きづめに動いている。
 ある修行僧が「心の悩みの根源はなんですか、どうしても、そこのところが悟りきれない」と尋ねたら、高僧は「それでいいのじゃ、悩みと言うものは自分が勝手に作って、自分で背負っていくもの、それでいいのじゃ」と答えたと言う。

 「仏教の教えは富士山みたいなもの、頂上は一つだが、そこに至る道はいろいろあると言われるが、こう考えたらどうでしょう。山は富士山に限らない、どんな山でもいい、それぞれの山の頂上をきわめようとして一心に登る。その ”過程”そのものが大事なのであって、山の高低は問題ではない。その山に登ろうとすること、そのことに意義があるのではありませんか」。
(86・S・61・9)