死・片 々
禅宗の高僧が瀕死の床についている。どうみてももう死は目前である。この老僧がこの世を去るに当たって遺すであろう、あり難い辞世の言葉を聞き漏らすまいまいと、弟子達が枕頭に集まっている。
”和尚、何か言い遺すことは・・・?”和尚、目を開いて曰く
・・・”死にとうない”。
人生を達観し、死を超越しているはずの高僧である。弟子達は耳を疑って、もう一度聞き返した。和尚は ”ほんまに、ほんまに・・・”と言いながら息を引き取ったと言う。
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織田作之助は、結核が嵩じ喀血しながら ”オ・モ・イ・ガ・ノ・コ・ル”といって死んだという。三十三歳だった。
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死だけは万人平等というけれども、人間何が口惜しいといって ”死ぬ”ことほど口惜しいことはあるまい。金も地位も権力も関係なく例外なく必ず訪れてくる。
しかも確実に近づいてくるーーー死。
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親しい友に聞いた話だが、まだもの心つかない幼児の頃、大病を患って生死の境を彷徨った。その時高熱に喘ぎながら本当に「彼岸」を見たという。
何故か高いところにある川の向こうに白装束で頭に三角の布をつけた人が並んでおいでおいでをしている。
もうろうとした意識の底で、すうっと向こうに行ってしまいそうになる自分を必死でこちらへ引き返したが、今思えば、あれがまだ自分に少し残っていた
”生きよう”とする生命力だったのだろう。あの時,生きたいという気持ちをなくしていたら、そのまま彼岸へ行ってしまったに違いないという。
しかし、いわゆる三途の川も、白装束も話としても聞いたことも無い幼児が、その ”彼岸”を意識の底で経験的に見るということは、どういうことなのだろう。
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人の死について、いろいろのことが言い伝えられている。ゲーテが死の間際に ”もっと光を”といったという話は有名だが、 ”東方の門”執筆中に倒れた島崎藤村は、庭に目をやり ”涼しい風だね”とつぶやいたのが最後だったと言う。
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ついでに作家では ”どうも有り難う”(亀井勝一郎)。”それじゃ、俺はもう死んじゃうよ”(幸田露伴)。”大丈夫”(今東光)。”幸せなことに私は・・”(佐藤春夫)。・・・何故かゴーリキーは”はしごが欲しい”。葛西善蔵は”キップ・キップ”といったと言う。
一休禅師は、さすがに ”ナルヨウニナルシンパイスルナ”と言い遺したそうだが、面白いところでは,麻雀をしながら、リューハをつもり”大三元!”と宣告して ”發”をつまんだまま息を引き取った幸せな人がいたという。
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次の詩は、吉村幸二郎という人の”がんも身のうち”という本の中の詩である。
効くという枇杷の葉の湿布もしたが/痛みはやまぬ
この痛みーーー/じっと耐えるしかない
うすら寒い秋の日のこの夕べ/この痛みーーー
近づく死の跫音か/死よ 来るのはいいが
跫音をたてずに/静かに来ておくれ
せめて蛩音をしのばせて/そっと近づいておくれ
戸口のブザーが鳴ったら/扉はいつでも開けるのだからーーー.
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死の話はいくら考えてもまとまらないし、どうにもすっきりしないが、最後に、高輪の善龍寺というお寺の門前に書き出してあった今週の教えをーーー。
よく自分に問うて下さい。
一度きりの人生を
どう生きていくかをーーー。
(87・S・62・4)