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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

正月である。お屠蘇のほろ酔い気分で、ご好評に?応えて、久しぶりに ”哀しき酒”といきますか。

 結婚式の挨拶で、呑み助の媒酌人が ”これから、バンシャクを致します・・・”と、つい口が滑っってしまった、という笑い話があるが、新郎側の若い代表が、スピーチであがってしまい ”一日も早く二号を作ってください”と言って、取り返しがつかなくなったという。
 ・・・字にすればたった一字の違いだがなあー。

 呑み助の会話について、矢野誠一という評論家が
 「ーーー酒を酌み交わさないことには、どうにももまとまらないという仕事がこの世にある訳がない。だいたいアルコールの入った男達の話ていることに,世のため人のためになるものなど、ひとつとしてありはしないのだ。毎日のようにそれをやっている自分が言うのだから間違いない」と書いていたが全く同感。

 さる赤提灯で、そんなアルコールの入った男二人の会話。
 「おい、お前飲むとイビキをかくと言っていたけどナ、昨日TVでナ、学者先生がナ、イビキをかくのは、ノドチンコの振動が原因だから、ノドチンコが振動しないように、このように枕を高くして・・・って、図解入りで説明していたぜ」。「ヘーそうかい。だけどさ、女性もイビキをかくけどさ、女の人の咽喉にもチンコはあるのかねえ?」。
 とせいぜいこの程度のことをマジメに話し合っているものと思えば間違いないのでは・・・。

 最近読んだあの呑み助、山口瞳さんの本で次の文にぶっつかった。
  「ーーーそういう男達が、次々と私の前にあらわれて、”酒をやめちまったんだね”と言うのである。そう言いながら、私にお酌をするのである。言葉の矛盾に少しも気がついていない。 ”そうなんだ、やめちまったんだ” と言いながら、私はその盃の酒を飲むのである。おそるおそるに飲む。反省しながらゆっくりと飲む。(略)うん、そうだ俺は酒をやめたんだなと思いながら飲む。少しも不思議な気持ちにならない”」。
 ・・・そうだろうなあ、と思う。だけど、もうそんな気持がしみじみ判ってもいいのかなあ。

 乞食は三日やったらやめられない、というが、銀座の乞食が糖尿になったそうだとかいう・・・・その乞食を最近見かけなくなった。その代わり何で食ってるいるのか、駅ビルの地下道などにたむろしている浮浪者をよく見かける。
 数人輪になっているのや、柱のかげにひとり離れてパッキンを敷き、当面の寝場所を確保してぼんやり座っているのもある。何で人生の結果がそのようになったのかは知る由もないが、これらに共通していることがひとつある。
 どこで調達してくるのか、必ずそこに何かの酒の瓶が置いてあるということーーー。
 酒がもとで身を持ち崩したのか、持ち崩した残りの人生を、酒でも飲まなきゃ堪えられないというのか。とにかくそこに必ず酒瓶があるーーー、ということに、酒と人生をふと考えさせられる。

 呑み助仲間のJ・Y氏からメモが届いた。さる飲みやのトイレの落書きを書きとって来たものだと言う。

      仕事が済んだと 酒になり
      今日はいいぞで 酒になる

      うまくないぞで 酒になり 
      やっぱり駄目かと 酒になる

      晴れりゃ晴れたで 酒になり
      降れば降ったで 酒になる

      しみじみ一人で 飲むも酒
      逢えば逢ったで やはり酒

      嬉しいときの 友も酒
      悲しいときの 友も酒

      サケ さけ 酒 SAKE みんな咲け!

 詠み人識らずの呑み助も立派だが、それをまた酔眼朦朧と、体をゆらしながら書き取ってきたJ・Y氏も立派。どちらも尊敬するなあーーー。

(88・S・63・1)