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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

ま た 

 何故か”哀しき酒”を書くと ”今月は筆が走っていた”とか ”楽しかった”と好評を頂く。さすがに ”為になった”という評は聞かないが、まあ
ヨカヨカ、今月も「哀しき酒」といきますか?。、
 (あまり楽しげに ”酒”の話ばかり書くと、自分の評価に不利になるのは覚悟の上で、気兼ねしいしい・・・)。

 ”酒の飲めない人は、人生を半分しか生きていない”というけれども、十二月~一月はやはり飲む機会が多く、そういう意味では人生をメいっぱいに生きた?。

 そんなある日・・・。出勤にネクタイを締めようとしたら、はて?見慣れないネクタイ。然も正絹で何とかリッチという代物ーーー。はて?・・・と昨晩の行状をひそかに ”心の旅路”ーーー。
 まともだった振り出しから順に記憶を辿ってみる。

 そうだ・・・五人で飲んでいて、あそこからあそこへ行って、あそこで誰かが誰かのネクタイを褒めたのだった。そしたら、そいつが急にデレッとして、”そんなにいい?。じゃあ、あげる”と、いとも簡単にそのネクタイをはずして差し出したのだった。
 それを締めるためにはずしたネクタイを、また誰かが褒めて、そいつがはずしたのを誰かが取り替えて・・・何がなんだか分からなくなって、結局五人とも最初と違うネクタイを締めて、そしてそれぞれが何か得をしたような顔になったのだった。
 (そういえば、そうして取り替えた戦利品のネクタイが何本ハンガーにかかっていることだろう)。

 そうだ、それから酒の注ぎ方、注がれ方について話がはずんだのだった。ついでに、断片的ながら思い出すままに再録しておこう。

 酒を注ごうと徳利を差し出すと,隣の人と話しながら顔は向けず、盃だけ差し出す奴がいる。あれはどう考えても失礼である。

 飲みかけた盃を卓に置いておくと、断りなしにその盃に黙って酒を注ぐ奴がいる。 ”酒間談笑のうち”というくらいで、酒は心を伝えるもの、ただ注げばいいというものじゃない。あれはあまった徳利の酒をただ片付けるためみたいで、嫌な感じである。 逆に、徳利をさし出すと必ず受けて、しかもそのまま卓におかず、少し口をつけてから置く人がいる。一寸したことだけども感じがいいものである。

 女性で、盃でもコップでも、必ず持った杯にもう一方の指一・二本を軽く添えて受ける人がいる。それで目もとがポオーッと赤くなっていたりしたら、惚れ直したくなるほどのものである。etc・etc・・・。

 呑み助のくだらぬ話だけでもナンだから、ここらでわが敬愛する酒聖・高橋義孝先生の文を少々。

 「ーーーそんなことなら、もう味気ないウイスキーに見切りをつけて、また日本酒に戻ろうかと考えている。それにウイスキーには肴がないし、酔い方も、階段をぐいぐい登っていくようなのに、日本酒の酔いは、ひたひたと満ちてくる春の海の潮のように静かである。やっぱり、日本酒に戻ろうかと目下思案投げ首である」。
 (ひたひたと満ちてくる春の海のような静かな酔い・・・いいですなあ)

 次は、いつもがさつな土筆生も、これくらいの色っぽさは判りますよ。というところで、飲みやで仕入れた詩一篇・・・。

      男と女は また歩きはじめる
      立ち止まった男が 車を止める
      行き先を告げるのは 女
      女は 自分の部屋の花が 
      ゆれ始めているのが わかる

 さて・・・。
 ”盃を上げて天下は 回りもち”、元気に行こう!。

(88・S・63・2)