高 校 生
四月———毎日選抜高校野球の花盛り。朝八時過ぎからTVはもう実況放送である。その中継も近頃は、ゲームそのものだけでなく、応援席の様子まで多彩に報道してくれる。
それでいつも思うのだが、この高校生達の応援振りが実に真面目で真剣なこと。リーダー達も新しい趣向をこらして、盛りだくさんな応援方法を考え出すが、その細かい指示にも実に整然と従い、全体がひとつになって一糸乱れぬ見事な応援を繰り広げる。
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わが都市対抗の応援振りも立派だが、この高校野球は、勝っていても、負けていればなおさらのこと、手を合わせて拝んでるのあり、涙を流しているのあり・・・、とにかく、ここをせんどの精一杯の応援である。
その学校にたまたま在席しているというだけで、他人がやっている、たかが?野球に、どうしてあれだけの情熱をぶっつけられるのだろう?・・・とふと考えさせられるほどである。
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話は変わるが、先日同じ高校生のニュース。
ある高校で卒業アルバムを作ろうとしたら、数人の生徒が、髪を茶髪にしたままどうしても校則に従わない。そこで学校側は、何年何組という頁のその生徒の顔写真を載せるところを氏名だけにして、あとの空白に花の写真を載せて埋めたという。
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その生徒達もどういう事情か、一生に一度の高校生活の最後の卒業アルバムに、自分の顔写真が残らなくてもいいというのには、それなりの理由があるのだろう。
自分のその年代の頃のことを思い出してみても、今思えばどうにもならないことに突っ張って、粋がっていたことを思い出すが、先の高校野球のひたむきな応援と同じ高校生がなあーーーと何とも暗い話でやるせない。
推 薦 状
私事で恐縮だが、机の引き出しを整理していたら、何と日石を受験するとき、学校の教授が書いてくれた古びた「推薦状」のコピーが出てきた。
まさか、会社はこの推薦状にだまされて、ふと、その気になって今頃後悔しているのではあるまいな?。と思いつつ、もう何にしても”時効”ということにして、この推薦状にまつわる思い出話を・・・。
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「・・・同君は、特に選ばれて同部主将を経て体育会常任委員長の重職に任命され、よくその任務を果たし、スポーツ並びに部生活の精神を実践しつつ、学校の名誉高揚のために尽くし,併せて公の為に奉仕するという学生生活を体験したものであり」・・・云々。
「私は、体育会会長として、また同部部長として、同君と責任を倶にする任務の遂行に当たって参り、今日までの経験にもとづき、同君の人格・力量に信頼を寄せるものであります」云々と中々の名文である。
最後は「同君が、今後も努力を怠らずば、必ずや大成しうる人物であることを確信し、ここに責任をもって同君をご推薦いたします」。ーーーと締めくくってある
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読み進むほどに、あまりに確信的な推薦状に当の本人がいささか不安になり、その教授に尋ねた。
先生「必ずや大成しうる」ことを「確信」し「責任をもって推薦」しても大丈夫なんですかーーー?。
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そしたら、その教授が「いいところに気がついた」といたずらっぽく片目を閉じて言われたことを鮮明に思い出す。
「そりゃあ、責任は持てないよ。だからその前にちゃんと ”同君が今後も努力を怠らずば・・・”と条件をつけてあるだろう。もし大成しなかったら、同君が、卒業後に努力を怠ったためで、僕の責任じゃないんだよ。ーーーこれから、実社会に出たら、文章を書くとき、読むとき、そんなところまで、気を配る必要があるんだよ」。
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さて、その同君・・・がその後、努力を怠ったのか怠らなかったのか、今は草葉の陰でN・I教授、案じておられることだろうなあ