マ ラ ソ ン
昨年末、スポーツ界の話題をさらった福岡国際マラソン。やゝ話は遡るがあの感激を記録に残しておく意味も含めて、今月はあのマラソンの片々・・・。
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昭和五十四年十二月二日(日)・快晴。世界の一流ランナーを交えた国際マラソンで日本勢が一位から三位までを独占した。優勝、早稲田の瀬古利彦。二位~三位、旭化成の宗(茂・孟)兄弟。四位、イギリスのバニー フォード。
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全長四十二・一九五㎞のラストにかゝって、なおこの四人が一団となり、残りの2㎞に優勝の行方がかかった手に汗握る場面。先頭、フォードの左右にぴったり宗兄弟、一歩あとに瀬古がついて四○㎞付近を通過ーーー。
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先ず宗(弟)がスパート、そこで宗(兄)と瀬古は必死に食い下がったが、フォードが遂に脱落ーー。続いてゴールの平和台公園競技場のコートにさしかかったところで、今度は瀬古がスパート、宗(弟)は抜き返されて少しずつ引き離されたが、代わりに必死に追いすがる宗(兄)・・・最後のトラック一周ゴール前二00mに勝負をかけて譲らぬ瀬古と宗(兄)とのデッドヒート。
瀬古そのまま宗(兄)を五m離して倒れこむようにゴールインーーー。
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タイム、 一 着 ・ 瀬 古 二時間十分三十五秒。
二 着 ・ 宗 (茂) 二時間十分三十七秒
三 着 ・ 宗 (孟) 二時間十分四十 秒
四十二㎞余のコースを二時間以上かけて走るマラソンで、解説者が途中経過を聞き昨年の記録と比較しながら ”このペースで行けば、二時間十一分は切れるだろうが、残念ながら十分は切れないだろう”と秒単位の解説をしていたが、なんと結果は十分三十五秒ーーー。その専門家の数字の正確さにも驚くが、二時間で四十㎞余も走って一~三位の差が、時間で二~五秒・距離で四~。五メートルとはどういうことか。
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素人目には、この四万二千mの中の、たった四~五メートルの距離を・・・しかも百二十分七千八百秒の中のたった二~三秒の時間を、最後になって争わなくても、もっと最初のうちに(元気なうちに)とっておけないものか・・・と不思議な気がするが、そんなことは知らないものゝ浅はかさ,将にランナーにはそのギリギリが、目の前でどうにもならないほど全エネルギーの最後の一滴まで使い果たしての死闘なのだろう。
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現に、瀬古はラストを一万m競争のピッチで走ってテープを切りゴールに倒れこんだが、その後五分くらい動けなかったという。
いずれにしても、あの死闘の中にみせた 宗 茂・孟の兄弟愛を含めて、久しぶりに人間の体力と気力・スポーツのぎりぎりの美しさをみせられた爽やかなマラソンであった。
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瀬古選手を育てた中村監督の曰く「マラソンは、走る禅です」。
そして瀬古選手は、次の試合に向かって、優勝した翌日からまた走っているのだという。
(80・S・55・2)