続 ・ 片 々 草 (抜粋 Ⅱ)
貧者の一灯
こんなことがあった。
地方の製油所に勤務していた時のこと、終業のチャイムが鳴るとすぐに掃除のおばさんたち数人が事務所の掃除に来てくれる。
その中にひとり、六十がらみの少し足の不自由なおばさんがいた。その人がどうやら土筆生の席あたりの担当らしく、いつも机の回りを綺麗にしてくれる。
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“ご苦労さん”と思いながら「全然ゴミがないように見えてても、そのブラシみたいな箒で掃くと結構ゴミが集まるもんだね」と感心したのがきっかけで、気軽に「暑い」・「寒い」・・・と声をかけ合うようになった。
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ところで話はこゝからなのだが,土筆生が本社に転勤することになった時、誰に聞いたのか、そのおばさんが「今度転勤なさるそうですね」と云いながら、チリ紙の包みを差し出したのである。「餞別」^^^だという。固辞する土筆生に、おばさんがこういうことを言ってくれたのである。
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「私は年や体の具合から、これくらいの仕事が適当で満足している。それで何年もこの仕事をしているけれど、私がこの仕事をしていることに気がついて、声をかけてくれたのはあなたが初めてだった」。
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「私の仕事を私がやって粗相が有れば叱られるでしょうが、今まで私が仕事をしている、そのことに関心を払ってくれた人はいなかった、それで当たり前と思っていたけど、あなたは何くれとなく私に声をかけてくれた。それが嬉しくて^^^先程聞いて準備したので少しきたない札ですが受け取って下さい」。
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「お気持ちだけで」^^^と固辞する土筆生の机の上に「貧者の一灯です」と包みを置いて行ってしまった。あの時は涙が出るほど嬉しかったが、後からつくづく反省した。
あれほど感謝してくれたけど、俺は本当にあのおばさんの「仕事」に関心をもって声をかけていたのだろうか?。足の不自由なおばさんを労るつもりで、ただ単に声をかけていただけだったのではなかろうか?。
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意識していない自分のふとした言動が、知らないうちに如何に人の心に影響を与えているものかーー、ということを教えられた「貧者の一灯」だった。
生 き る
時にしもたやを改造したような低い軒の薄暗い土間に、子ども相手の駄菓子やおもちゃを並べて売っている店がある。お祭りでは、屋台を並べてお面や風車、金魚すくい、たこやき、わた飴など^^^。
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一方はうらぶれ、一方は雑踏とともに華やかではあるが、いずれにしても単価で云えば幾らでもないものを売って生計を立てている人たちがある。
その店一軒分が全部売れたとしても、原価を引けばいくらにもならないだろうと思うのだがーーー。
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富山で全国で唯ひとつこゝだけ、という珍しいお祭りを見る機会があった。「全国ちんどんコンクール」。毎年四月に行われると言う。
空襲で廃墟になった富山の街に明るさと勇気を与えようと、昭和三十年に商工会議所が全国に呼びかけて始めて以来、連綿と続いてるのだという。
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全国唯一と言うだけあって、とにかく日本中からホントに我こそはと思うちんどんやが集まって来て、街中を練り歩いたあと、富山城の中庭に結集して「技とアイディア日本一」のチンドンを競い合うのだから壮観この上もない。(この「チンドンや」というネーミングーーー。全くもって云い得て妙ではないか!)。
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本人たちは厚い化粧に派手な衣装で、それぞれに人目を引くアイディアをこらし、音楽に合わせ、愛嬌を振りまきながら千鳥足で歩いて行くーーー。
(ついでながら、この世界では「旗持ち三年、鉦三月」というそうだが、その旗持ちも歩き方が難しいのだという。腰を落として首は真っ直ぐにしないと傍が倒れる。音曲に合わせながら三歩進んで二歩下がる。しかもそれを千鳥に歩かなければならない)。
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そうしながら吹くクラリネットーーー。耳に残るように、さりげなく適当なところでわざと音階をはずしながら吹かなければならない。そうして必死で吹くクラリネットの先から、たまったつばきがポトポトと落ちるのを見たとき、何故か急に「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」という句を思い出した。
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人間生きて行くこと、そのたつき、なりわい、よすぎ,渡世^^^をどうやって行くかということは、人それぞれの生き方で他人が容喙すべきことではないが、やはり何かを考えさせられるのはどうしようもない。
女・おんな・オンナ
「男にとって、女とは何か?」と書くとやゝ週刊誌のタイトルめくが「女とはーーー?」男にとって興味ある、しかも結論のない永遠の命題であるに違いない。そこで、盲人が象をなでるテイであることは充分承知の上で、敢えて「女」についての片々をーーー。
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こんなマンガがあった。
亭主がビールを飲もうと冷蔵庫からハムを出そうとしたら、奥さんが「それは腐りかかってるからダメ」だという。「それなら捨てたらいゝじゃないか」。「だって、よく腐ってからでなきゃ勿体ないじゃないの」。
(男は「あんな辛い思いをして得た金だから、ひとつパーっと使おうか」という発想が出来るものだが、これが女だと^^^「だからこのお金は滅多なことでは使えない」。ということになるのではあるまいか)。
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ある料亭の女将の話。
「ダンナがどうも浮気をしている気配がある。苦心の末、その証拠を押さえたと思いなさい。(ウンウン)。その時そのダンナがあっさり自分の非を認めて謝ったとするでしょう。(ウンウン)。ところが女と言うものは、不思議なもので、苦心して隠せぬ証拠を押さえていながら、そこでその事実を認めて欲しくない。ウソと判っていても事実を否定してもらいたいーーーものなのですよ」。
(そんな矛盾した感情と理性とがごっちゃになった女ごころなんてよく判らん。といったら、その女将なぜか得意げな顔をしたが?)。
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ある作家の話によると「女性の悪口をテーマに何か書いて欲しい」と頼みに来た編集者は女性で、しかも「女性の読者には女性の悪口が喜んで讀まれるからーー」と公言したそうだ。
(男は連れの女性の前で,他の女性を褒めるときは必ずオチをつけるのがエチケットだという。「おや、すごい美人だなあー、だけど脚が太い!」。
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最後に一念発起、頭を丸めて仏門に入られた女流作家瀬戸内さんがこんなことを言っておられた。
「男と女を並べたら、九十点の女より、六十点の男とつき合う方が遥かに面白いし、有益になるように思う。女は相当賢そうに見える女でも、がっかりするような馬鹿さ加減を隠しているものだけれど、男は相当馬鹿みたいに見えた男でも、はっとするくらい偉いところを隠しているものである」。
(快 哉!)。
真っ赤な大陽
小二の女の子。突然「キセツってなあに・・・」。
父親「春とか、夏とか、冬とかーーー一年の中でも、花が咲いたり、暑くなったり、雪が降ったりするでしょう。そのことを “季節”っていうんだよ」。
「ふーん。それじゃあ “コイの季節“てのは、どんな季節なの?」。
桜 ・ 片 々
「武士道はその象徴たる櫻花とおなじく・・・」の書き出しで始まる新渡戸稲造博士の名著、アメリカのルーズベルト大統領も絶賛したと言う「武士道」。
彼はその武士道の真髄を紹介するのに「義・勇・仁・礼・誠」の五つを挙げたが、その最初に取り上げた「義」の章で,赤捕四十七士のことを「この真率正直なる男らしき徳は最大の光輝をもって輝いている」と褒め讃えた。
その四十七士のお墓「泉岳寺」の境内正面に見事な桜の木がある。
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やゝ講談調めくが、元禄十四年三月十四日、赤捕五万石の城主浅野内匠頭は、殿中松の廊下での刃傷により即日切腹を命じられた。
風さそふ花よりもなほ我はまた
春の名残をいかにとやせむ
内匠頭は無念の思いをこの辞世に託して三十五歳の生涯を閉じた。
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播州赤捕の浪士、大石内蔵助以下四十七士は主君の無念を晴らすべく,辛苦の末、元禄十五年十二月十四日、本所の吉良邸に討ち入り、見事本懐を遂げて主君の墓所に上野介の首級を供えた。そして翌十六年二月四日、四十七士全員切腹。大石内蔵助の辞世。
あら楽し 思ひは晴るる身は捨つる
浮き世の月にかかる雲なし
爾来、三百年。今年も線香の煙りの絶えない泉岳寺の境内に,桜は見事な花を咲かせた。
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“花は散るために咲く”というけれど、枝にたわわな花のどこからともなく、とめどもなく花びらが降ってくる。路上に雪かと見まがう花びらがはらはらと舞う。咲くことよりも、散ることにアクセントをおいたような「桜」・・・。
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その散り際の見事さから、桜は戦時中いろいろなところで使われてきた。
万朶の桜か襟の色/花は吉野に嵐吹く/大和男と生まれなば/
散兵戦の花と散れ。
花は桜木 人は武士。
七つぼたんは/桜に錨・・・。
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散る桜 残る桜も 散る桜
と書き遺して知覧から飛び立って逝った若き特攻兵士・・・。
その特攻作戦によって若い命を散らしていった人達、海軍二千六百三十二人。陸軍千九百八十三人。合計四千六百十五人だったという。(半藤一利・昭和史)
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さまざまのこと思ひだす桜かな (芭 蕉)
撩乱として咲き誇った今年の桜も終わってしまった。
夫 婦
ある朝、出勤する亭主が玄関で靴のひもを結びながら奥さんに言った。「君ネ、どうでもいゝことだけど、朝、顔を洗うとき歯みがきのチューブは真ん中から押し出さないで、ちゃんと端から押し出すようにしたらどうだい?」。
すると奥さんがすかさず「貴方、そんな些細なことであたしを咎めるんだったら、貴方のあれはどうだ、これはどうだ・・・」と、たちどころに亭主の不足を列挙しだしたという。それをいちいち釈明しながら「そんなことまで持ち出すんなら、これはどうだ、あれはどうだ」と売り言葉に買い言葉。
結局、その日は出勤できなくなってしまったという。
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「人間関係」と言う。
人間、家族であれ他人であれ、いろんなことをお互いがさりげなく、何となく我慢し合っているからうまくいく。恋人同士だって惚れ合っている間は“アバタもエクボ”だが、そのうちお互いの欠点が目についてくる。
「恋愛中はお互い両目で見よ。結婚したら片目で見よ」というのは、そこらあたりのことを言ってるのだろう。
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何にしても人間関係のいざこざは、コミニケーションの「不足」によることもあるけれど、「過多」によることがあるということも心得ていていゝ。さゝいな行き違いをテーブル載せて話し合うことで、かえって何でもない違いを確認し合いながら、お互いのミゾを深めて行ってしまうこともある。
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「人間関係」・・・。いくら理解し合っていると言っても夫婦だって所詮は他人同士、お互いに “ゆずること、我慢すること、赦すこと”・・・が夫婦関係の要諦と思うが如何なものか。
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「離婚した夫婦の大多数が議論好きで、それも “結婚とは何か”“人生とは何か”といった、青くさい観念論の律儀すぎるほどの消費家達です」。「アメリカで離婚が多いのは、いつも夫婦が一緒にいるからで、常に会話を交わし、相互に理解しようとするからかえってうまくいかない。“誤解し合って結婚し、理解し合って離婚する”わけです」といった人があった。
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「亭主達者で留守がいい」・・・。
実篤さんのジャガイモとカボチャの色紙じゃないが、「君はきみ、我はわれなり、されど仲良き」といければいゝんだがーーー。
死
「今さら死を怖がることはない。人間生まれた時から死刑囚なのだ」といったのは誰だったか。
本当に人間はいつ死ぬか判らないものだし、明日の命を誰が保証してくれるものでもない。そこのところを掘秀彦さんは「いつか死ぬ、という確実な死の期日・時間と、それにもかかわらず今夜はまさか死なないだろう。と思い込んでいる生の時間と・・・この二つの時間の観念の中で日々生きている」。と述懐しておられるが、今回は駄文を弄さず、古今の賢者の言葉から「死」についての片々・・・。
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「ゆく川の流れはたへずして、しかも元の水にはあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし」・・・。
ご存知、鴨長明、方丈記の一節。
「人生とは」まあ客観的にみてみれば、川の流れがしばし止まった淵に、浮かんだり消えたりして流れて行く泡みたいなもんじゃないか」。・・・何とも綺麗な文章で云い得て妙。
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次は、おなじみ兼好法師の徒然草から。
「住み果てぬ世に、みにくき姿を待ち得て何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十にたらぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ」。(第七段)。
六十八才まで生きたといわれる兼行さんが、幾つのときに書かれた文章か知らないけれど、「四十に足らぬほど」とは幾らなんでも遠慮しすぎでは?。
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次は雑誌に載っていた或るガン患者の言葉「あのね、生と死と世間はいうけれども、仏教では “と”といく接続詞は入れないんですよ。生死は紙の裏表で、生の延長線上に死があるわけではない。死ぬべきものが生きているという感覚。・・・だからね、はて死ぬことがいよいよ向こうに見えて来たぞ、という感覚ではない訳です。つまり生死一如・・・」。
こうなると、本当に死と隣り合わせに生きている人の切羽つまった感じ方で、判るような気がするといっては申し訳ないかーー。
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アインシュタインは「死とは?」と聞かれてしばし考え「モーツアルトが聞けなくなることだ」と答えたというが、「未ダ生ヲ知ラズ。イズクンゾ死ヲシラン」(論語・先進編)。と答えたのは「子のたまわく」というやつだが「死」については、流石の孔子様も「曰ク言イ難シ」で、「生きると言うことがまだよう分からへんのに、死と言うものが分かる訳ないやないか」とややケツを捲った感じ。
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次は、ドイツ文学者高橋義孝さん。
「・・・そしてまた自分が生まれない以前の永劫の無と、自分が死んでしまったあとに控えている永劫の無という、この二つの無のほうが、どうやら本当の“有“であって、人生という ”有“は単なる ”無“ではないのか」
こうなると、何か判らないまま宇宙の果てしない空間の闇の中へ吸い込まれていくような感じ・・・。
*
次は親鸞上人。
明日ありと思ふ心のあだ櫻
夜半に嵐の吹かぬものかは
ついでに、蓮如上人(白骨の御文から)
「・・・誰か百年の形体を保つべきや、我や先、人や先、今日とも知らず明日とも知らずーーーされば,朝に紅顔ありて,夕には白骨となる身なり・・・」
*
さて大分深刻になって来た、ここらで人生の達人たちの狂歌を二〜三・・・。
昨日まで人のことかと思いしに
俺が死ぬとはこれはたまらん (蜀山人)
つひにいく道とはかねて聞きしかど
きのふきょうとは思はざりしを (藤原業平)
ふざけた振りをしながら,何とも諦め切れないどうしようもない無念さが感じられますなあ。
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締めくくりは、織田作之助・三十五才・喀血して死亡・絶句。
お・も・い・が・の・こ・る・・・・・・・・・・。
陋 屋
大分以前の話だが、仕事の都合で豪雪の地で三年も人の住んでいなかった家に住むことになった。障子・ふすま・壁・・・その他目につくところは、入居前に手を入れておいたのだがーーー。
*
しょぼしょぼと雨が降っていた。家族を迎えて、これがこれからお前達の住む家だと連れて行った日。玄関を開けたら雨だれがポツンポツンと玄関のたたきと廊下を濡らしていた。
*
トラック便で,入居する時刻に合わせて着くはずの荷物を待って、まずはともあれ、何もなくガランとした部屋の中で、家族四人が受ける容器もない雨だれを見つめながら、ぼんやり座っていた数時間。---心の中をすきま風が吹き抜けるような、侘しいうつろな気持ちだった。
*
その日から半年たったある日感じたこと。
--日々の生活のすさびの中で気がつかなかったが、入居した日の気持ちになって振り返ってみると、何と家の中のものすべてが、有るべきところにあるべきたたずまいで息づいていることか。
生なきものへの生活の浸透とでもいうのだろうか、命のない障子が、壁がーーーあの日と全く同じ姿のままでありながら、生命をもって語りかけてくる。
*
人が住むべく建てられたものには、やはり人が住んで初めて生命が与えられる。物理的には誰も住まない方がそっとして傷まない筈であるが、人間の生活には、物理的な法則だけでは割り切れない情(こころ)というものが存在するようである。
も の は・・・
きらいなもの
まゆの根にしわを寄せた女
可哀そうなもの
ミニスカートをはいた大根足の女
がっかりするもの
くたびれた靴をはいてる女
なりたくないもの
終電車に乗ってる女
気の毒なもの
電車の中で眠りこけてる女
愛らしいもの
とれたボタンをつけてくれる女子社員
邪魔なもの
電車の中で足を組んでる男
なりたいもの
酒を浴びるほど飲んで泰然としてる男
あわれなもの
しゃべりすぎる男
貧相なもの
すりきれたネクタイを締めてる男
わからないもの
朝、開店前のパチンコ点に並んでる男
考えたいもの
二日酔いになった前の夜の飲み方
わずらわしいもの
しらふで聞く酔っぱらいのグチ
悲しいもの
満員電車のサラリーマンの顔
欲しいもの
無欲!(キザかな)