相変わらず、「ステルス就活」に関してマスコミの煽り記事、あいも変わらない識者の他人事のようなコメント、極端な学生の例、企業の言い訳が並んでいる。
(自分の知っているのは工学系だけだけど)
ステルス就活なんてステルス値上げと同じで全然ステルスではない。
修士学生は1年の7−8月からインターンシップという名の就職活動が始まる。
だから、修士2年6月に選考開始の蓋が開けば、6-7割は決まっている。
複数の会社から内定もらったりする学生がいるので、6月からは落穂拾いになる。
落穂だって優秀なのから採用したい。
回る寿司だって、コスパが良さそうなものを取りたいけど、皿を戻すのはNGだ。他の客との熾烈な駆け引きがあるのだろう。3周回ってくる皿を誰が取るだろうか?
3周目かどうか判らないだろう?って、何を呑気な。6月の1週、2週、3週とくれば、他の会社が手を出さないのは何か問題があると考えるのが普通だ。
識者は呑気に、「研究力低下の一因」とか言っているが、1年かけても企業に興味持ってもらえない学生なら、(きつい言い方だが)研究力にはそもそも貢献しない。
それが人間性の否定になってはいけないが、進む道を変えるという選択肢はあって良い。
「修士論文の審査を12月ごろに前倒しして、それまでは研究に専念する」のが良いとかいう識者がいる。
さすが東大の教授だよな。
そんなので済むのは東大の学生だけだろう。東大生のためなら、席開けて待っていてくれる。
企業が、研究者としてスタートラインにも立っていない学生を「期待値だけで採用」するのは、採用してからじっくり育てれば良かった古い時代の遺物だ。
自分が能力主義で評価されて、給料も上がらない、70歳まで働かなくてはならない状況で、「期待値で採用」された新人に、自分のノウハウを全部開示する先輩社員がどれだけいるだろうか?
マスコミは、100社エントリーシート出したけどダメだったみたいな「涙もらい」の記事を垂れ流す。まー、楽して記事書けるから定番記事としてストックしているのだろう。
読む方も、またかと思う。
そして思考停止に陥る。
今、私は、pirika研究会を行なっている。
横浜国大、埼玉大学、大阪工業大学の、4年生、修士1年、修士2年、Dr1年、社会人2人と始めた。
ハンセンの溶解度パラメータとデータサイエンスを学ぶ。
最初にClubhouseで集まって何時やるのかを決めた。
社会人は仕事があるし、学生はバイトとかの関係がある。
みんなで調整して、隔週の水曜日21:00と決めた。
大学の講義ではないから単位はあげられない。
でも、ハンセンの溶解度パラメータの開発者が、必要であれば期限付きのHSPiPライセンスを発行し、pirikaの解析ツールを使って最先端の化学を学ぶ。
社会人もいるから、上手な質問の仕方を学べるし、面接時のノウハウも聞く事ができる。
大学生活以外の活動として、就職の時にアピールできるし。
オンラインというのは、このように無限の可能性を持っている。
思考停止になっている暇はない。
コロナが一息ついて、大学の授業はどんどん対面に戻ってきていると聞く。
学生がキャンバス・ライフを楽しみたいから、オンライン授業を否定し、大学もそれに答えているのは理解する。
しかし、修士学生は1年の7−8月からインターンシップが始まり、このところ、学生が7月に授業をサボるのが多く、評価としてCをつけることも多い。(15回のうち4回欠席だから)
インターンシップの時期を変えるとか、就職活動の時期については、学生や大学が何を言っても変わらないだろう。
でも大学の正規のオンライン授業を7月は夜の21:00に持っていくとか、集中講義で終わらせてしまうとか、などは、学生と先生の合意でどうにでもなると思う。
学生はもっとそうした部分についても声をあげるべきだろう。
全ての先生がそんな対応取れるわけではない。
ただ、大学の学事歴がこうなっているからとかいう理由だけで、臨機応変に動けない組織はどうかと思う。
今年の横浜国大の材料・素材系データサイエンの授業をとっている学生から言われた。
「他の授業は単位数を稼ぐために取っていますが、この授業は、社会人になる前にきちんと自分のものにしないとヤバイと思って参加しています」
もっと多くの学生がそんな思いをするまで、この国は変わらないのだろうな。