雑記帳:化学者@家の雑記帳
2003.10.XX
榎ころハウスに移る前は横浜でも最も標高の高いところにある会社の社宅に住んでいた。自分は毎日キャベツ畑の中を30分かけて歩いて通っていた。榎ころチビズ(当時はさんまいちょうチビズか)が出てきた頃から焦りはじめた。社宅は余りにも狭いし不便だ。奥さんのおかあさんが手伝いにきてくれても寝るところすらない。そのころ、たまたま田園都市線沿線の江田にすむ奥さんの知人から、H社というハウスメーカーが家の建て方講習会をやるというパンフレットを送ってきてくれた。奥さんはチビズを抱え動きがとれず自分が講習会へ参加し、ハウスメーカーから見たいい土地、悪い土地などなど結構参考に成った。新聞の折り込みに入っているようなのは要は駄目だということらしい。その場には土地を扱う不動産会社も同席していたし名刺も交換したけどそこからは一度も連絡がこなかった。そのH社の営業と何か所か見て回りたまたま榎が丘が非常に気に入ってほとんど即決した。まーそうして土地は購入していざ建物。最初のきっかけがH社だったからH社に任せるのに依存はなかったのだが、こちらは最初から地下室が欲しかった。土地が狭いのもあるけど、地下にピアノを入れたかった。だから地下室は譲れなかったので結局は三井ホームにお願いすることになった。詳しいことは地下室のところで書こうと思う。そうして三枚町の山のてっぺんから榎が丘の丘の上に引っ越してきたのが2003年3月。榎ころチビズは1歳と5ヶ月。どんどん走り回り、もうとてもじゃないが社宅にはいられなかった限度ぎりぎり。
通勤時間は1時間半。今までの3倍もかかってしまう。東京でも1時間で余裕でいかれるのに。でも狭いながらも庭で野菜を作ったり、花を育てたりの生活を半年もしたら以前の生活など思い出しただけでぞーっとする。
2004.2.XX
なんて言っていたら、ついにこの社宅も閉鎖が決まった。
奥さんに言わせると「後戻りできないように退路を断たれている」のではないかと。「あなたの前に道は無い、あなたの後ろの道は断たれました」と。頑張ってとにかくチビズを仕上げるしか無い!!